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  • 「おかあさんといっしょ」から「おとうさんもいっしょ」へ

    Posted on 1 月 25th, 2012 admin No comments

    ゆるエントリーです。

    子どもが3歳になり、もともと楽しかった子育てがさらに楽しくなりつつあります。我が家の子どもとの遊びというと自転車に乗る、サッカーをする、プラレールを組み立てる、積み木をする、カードで神経衰弱をする、ジグソーパズルをする、絵本を読む、等です。

    そして最近増えているのが、「iPhoneでyoutubeにつないでプラレール動画を見る」です。youtube上では各国の児童の力作プラレール動画が公開されていて、うちの子供はかなり刺激を受けています。(ソーシャルラーニングですね・・)見せすぎは良くないので、本数を決めて見せるようにしています。

    そんなことを思っていたら、今朝「プラレール」というアプリがTwitter上のパパ連中のなかで盛り上がっていました。

    我が家もiPhoneで動画見せる担当は完全にパパである私なのですが、どこも同じなのね、ということがわかりました。これって、父親の子育て参加が進むという意味ではとても良いことですよね。

    かつては子育てといえば、ママが主役。「おかあさんといっしょ」という番組タイトルがそれを表しています。ただ、たまたま子育てツールにITガジェットが加わったことで、パパも子育てに参加する一つのきっかけになっている気もします。

    ということで、これからは「おかあさんといっしょ」に加えて、「おとうさんもいっしょ」。推進していきましょう。

  • Facebookのバイラル力に少し不安を覚える理由

    Posted on 1 月 15th, 2012 admin No comments

    「最近Twitterやらなくなって、すっかりFacebokだよー」という声を聞きます。それはそれで全然良いのですが、「Share!」といっていろんな情報がものすごい数の「Like!」とともに飛んでくるのには、情報を伝えるメディアとしての力不足に少し不安を覚えています。

    メディアとしてのTwitterとFacebookの違いの一つには、「情報を正しく訂正する力」がはたらくかどうか、にあると考えています。震災後、様々なデマがとびかっても1時間もすれば正しい情報提供者によってそれが火消しされたように、Twitterには誤情報を訂正するいわば”見えざる手”があります。情報の市場原理が働いているわけです。

    ところがFacebookはリアルな人脈に基づく、一定の区切られたソーシャルグラフの上に成り立っているので、いわばこれは「域内自由貿易」みたいなもので、あるコミュニティだけがHotでガラパゴスな状態になっている、ということが起きる可能性をはらんでいます。その結果、上記の「正しい情報提供者」(数が少なく、かつ偏在しています)からの訂正が入るのに時間がかかり、「ぬまゆブログ事件」のようなあきらかな煽りが火消しされるのに時間がかかる、ということが起きてしまいます。

    実名ソーシャルメディアはネットとリアルの中間点にあると感じますが、改めてこういった難しさを感じます。そういう意味では、自分は情報メディアとして活用する上ではTwitterの方が快適な部分があるなぁ、と感じます。

  • Facebook のソーシャルプラグイン設置の際に注意すること

    Posted on 1 月 11th, 2012 admin No comments

    Facebookのソーシャルプラグインに関するメモです。

    昨日、はてなで運営している別ブログ(Learning-Web)にfacebookのLike boxを設置するのがなぜかうまくいかず、しばし格闘しました。最終的には設置できたのですが、「えっ」と思うような落とし穴があったので記録しておきます。

    はてなダイアリーにLike Boxを設置するための手順は以下の通りです。

    1.Facebook developersでタグを生成する

    こちらhttp://developers.facebook.com/docs/plugins/で好きなソーシャルプラグインのタグを生成することができます。このとき、「IFRAME」でコードを生成し、コピペします。

    like-box

    2.Google Gadget に変換する

    IFRAMEタグのままでははてなのブログパーツに反映できないため、google gadgetに変換します。なんとありがたいことに iframe → Google Gadget コンバータ というものを作成頂いた方がいるので、これを利用します。スムーズに変換できます。

    google-gadgets-converter

    3.はてなのブログパーツにGoogle Gadgets タグを貼り付けて完了!のはずが・・

    hatena-blog-parts

    そのまま張り付けると、なぜかLike Box が正しく生成されません。これ、良く見るとfacebookのアドレスが「//www.facebook」で始まっており、「http:」がなぜか抜けているのです。「http:」を追加すると正しいBoxが反映されます。

    これはバグなのか、何かの事情があってこうなっているのかはわかりません。気づいてしまえばどうってことないですが、初心者は戸惑うトラップです。ググると私と同じ苦労をした人が結構たくさんいそうなので、自分の経験を書き留めておきたいと思います。今後ソーシャルプラグインを作成される方はご注意を。

    今はこんな感じで正しく表示されてます。

  • 『感動をつくれますか?』

    Posted on 1 月 4th, 2012 admin No comments

    久石譲『感動をつくれますか?』のまとめです。気になった部分を要約しています。(ツイートからの転載・加筆です。)

    ものづくりには2つの道がある。一つは、自分の思いを主体にしてつくりたいものをつくる生き方。採算や生産性は度外視。もう一つは、自分を社会の一員として位置付けてものづくりをしていく在り方。大多数の職業は後者で、創造性と需要の狭間で揺れながらクリエイティブなものをどれだけ作れるか。久石氏も芸術家でありながら、自分を後者と位置付けている。

    ものをつくることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメ。生涯に一作であれば、誰でもいいものが作れる。仕事は点でなく線。創作する作業を次へまた次へとコンスタントに続けられるか。優れたプロは、継続して自分の表現をしていける人である。また、いいものを作ることと、できたものが人に評価されることは、表裏一体ではあるが、根本的に違う。人々のニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない。「感動しました」などと言われることはあっても、それは作った音楽の結果としてついてくるに過ぎない。

    「感性」という言葉で括られているものを冷静に分析していくと、その人のバックボーンにあるものが基盤になっているのではないか。論理的思考の基になるものが、自分の中にある知識や体験などの集積だ。何を学び、何を体験してきたかが論理性の根本にある。感性の95%はこれではないか、と。一方で、肝心な要素は残りの5%の中にある。感覚的なひらめき。オリジナリティを加えるその人ならではのスパイス。それは”創造力の肝”となる。ものづくりは、ここまでは論理でここからが感性だと割り切れるものではなく、自分の中にあるものをすべてひっくるめたカオス状態の中で向き合って行くことといえる。

    創作活動において、「第一印象」は非常に大切。最初に浮かんだものが役に立つことが意外に多い。様々な可能性を模索していくうちにどんどん迷路にさまよい込んでしまう場合があるが、そういうときは最初のイメージに戻る。第一印象というのは、余計な観念にまだ支配されていないから、感じたままが最も素直に現れている。「感覚は欺かない。判断が欺く」という言葉は正しい。

    創造力の源である感性、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積。結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切。質より量、とにかくたくさんのものを自分の中に取り込む。フィジカルな経験があると、イメージにも深みが増してくる。また、偶然の出会い(セレンディピティ)を大切にすること。様々な影響を受けながらものを作っていく中で、自分らしさが浮き出てくる。直感力を研ぎ澄ませることで、自分の周囲にあるものを受け入れやすい、感じ取りやすい人間になる。たまたま目の前に飛び込んできて、琴線に触れた要素を大事にして活かせるかどうか。

    そうして作っている音楽が、”確信に変わる瞬間”がある。「よし!」と思える瞬間、「飛び越えた」と言える瞬間。そこまでは非常に苦しい状態が続く。その扉が空いてしまえばあとはスムーズだ。自分の曲の最初の聴衆は自分だから、自分が興奮できないようなものではダメ。自分が喜んでいると、人に聞いて欲しくなる。

    日本人のアーティストの特徴。最初から綺麗に揃った音を出すが、そこからの伸びが無い。本当の”音楽する”という部分が弱い。「あなたは音楽をしているというけれど、気にしているのはピッチとリズムでしょう?」となる。音を出すことで何を伝えたいのか。音楽をやることで表現しやければならないのは、そこだ。

    感性を磨いていくうえで、経験を積むことは大切だ。一方で、経験は人間を臆病にする面もある。新しい挑戦をするとき、経験則で水を指す人がいるが、その人は経験が進歩を妨げている。経験は活かせないと意味がない。もう一つ、苦労は買ってでもしろ、もウソだ。苦労自慢には意味が無い。客観視し、知性を磨いていかないと進歩が無い。

    ここからは感想。我々ホワイトカラーの創作活動にも通じる部分がたくさんあった。一流は、多作家であるということ。自分自身が興奮するアウトプットを出す、ということ。質より量で感性を磨いていくということ。表面をきれいに整えるのではなく、それによって何を伝えたいのか、を考えること。

    一番自分の中に突き付けられたのは、「創造性と需要の狭間でクリエイティブなものをどれだけ作るか」、というジレンマ。誰にも売れない画をかき続けていてもゴッホのような孤高のアーティストになってしまうし、大衆迎合した商業音楽家になってしまうと、それで良いのか?という思いも付きまとう。この狭間で戦いつづけてこそクリエイティブな創作活動、ということなのだろう。

  • 日本人と宗教

    Posted on 1 月 4th, 2012 admin No comments

    日本人にとっての宗教、について自分なりの考えを整理したかったので年始に少し勉強してみた。中でも「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」がとても参考になった。本書はキリスト教、仏教、イスラム教、神道、の基本的な理解をするのにお勧めだ。今日は、特に日本人に関することについて印象的な部分を要約しメモしておく。
    ツイートからの転載・加筆なので乱文です)

    日本人は無宗教と言われるが、逆に日本ほど宗教が自然に根付いている国はかえって珍しい。子どもが生まれるとお宮参り、七五三、お葬式はお寺で行うという儀礼が信仰を意識せずとも生活にしみ込んでいる。宗教と言うのは本当に体の中に入ってしまうと無意識になる。養老孟司氏は日本人には仏教的な「無」が刷り込まれている、という。欧米やイスラム圏で無宗教といったら「唯一神を認めない、またはアンチである」ということになってしまう。

    日本人にとっての「神道」は、稲作で五穀豊穣を願う慣習から始まっており、それが「祭り」や「神社」という形で生活に溶け込んだ。それゆえ何かを意識的に信じる宗教ではなく、生活ののスタイルとして根付いた。神道における神はキリスト教やイスラム教のような唯一神ではなく、八百万の神。それは、祖先の霊、そして自然に宿る神だ。日本の自然現象は多岐に渡るから様々な神ができた。神道は寛大な宗教で、教えを統一することが無かったのが特徴だ。

    神道は、五穀豊穣を始めとする「共同体の安寧」を維持するシステムとして存在した。「神輿」や「山車」などもコミュニティとともに存在している。家内安全や商売繁盛といった個人の安寧を願う勧請型神社も登場したが、それとて共同体の安寧の上に成り立つという立場をとっていた。そういう意味では、「個人の救済」を目的とするキリスト教や仏教とは位置付けが大きく異なる。

    そんな性質を持った神道だったからこそ「神仏習合」は成立した。仏教が輸入されると、日本人は「神様ですら解脱を求める」として神宮寺を建てた。明治に入って政府により無理矢理分離されるまで神仏習合は続いたが、神道が信仰というよりは生活様式に近いものであったことを踏まえると決しておかしな事では無かった。

    西行の「何事のおはしますかをばしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」という伊勢神宮を詠んだ歌があるが、何と言う神様かわからないままでも祈りを捧げる性質が日本人にはある。一方、自分が読んでいるお経の意味には関心が無いように、思想信条よりも「関係性」が先に立つメンタリティがある。

    日本人はなぜグローバルスタンダードを作れないか、という議論がある。これを宗教という観点から考えると、「歴史上、宗教をを広めた経験がないから」という仮説を立てることができる。欧米はキリスト教という信じるべきものを世界に訴えてきた経験がある。日本は逆に仏教も、キリスト教も、受け入れる側ばかりだった。多様性を受容する神道のなせる技だったともいえる。

    ここからは感想。確かに神に支えられた自我を持たない、という点は個々人のグローバル競争では弱点かもしれない。一方で「共同体の安寧」を”信仰”の中心として育み、神の多様性すら受容してきた日本人のメンタリティは、国を超えたコミュニティ形成が不可欠な時代に極めて重要な要素となるのではないか。多国籍チームに日本人が一人いるとチームがうまくまとまる、という経験則があると聞く。日本人の気質はこのような信仰における歴史からも読み解くことができそうだ。

    また別な側面としては、日本人と宗教の関係は新たな局面にある。神道のベースとなっていた共同体が今、農業の衰退と都市化によって無くなりつつある。一方で個人救済をしてくれる信仰を日本人は持ち合わせていない。(自殺が多い一因?)日本人の価値観が共同体から個に移る中で、我々はどうやって精神の安寧を図るのだろうか。

    以上。